大親友
アントニオ猪木さん
燃えつきて
悔いなく
逝きました
巨大な星世界のアントニオ猪木2022年10月1日朝7時大きな役目をはたして、天国へ旅立ちました不治の難病と闘いながら燃える闘魂アントニオ猪木は燃えつくして旅立ちました・・
私も一番の友人として45年間に及ぶ歳月を、希望と誇りと勇気を与え続けてくれた、最も大きな心の存在であった。アイワールド全盛のころは、数えきれないほどイベントに来てくれてサイン会や時にはプロレスの無料興行までしてくれました。テレビコマーシャルも出演してくれました・・
二人だけになると無邪気な少年のように夢を語り、地球規模の夢を語り、それに挑戦しました。私との思い出は尽きませんが、ブラジルでの事業の応援に始まって、あらゆる場面でアントニオ猪木さんのそばにいさせていただいた。ほかの人には誰もわからない心の中を話し合ったと思っている。
人からは偉大と言われる人間も近づけば癖があり離れたくなる英雄もたくさん見てきたが、アントニオ猪木と言う人間は、近づけば近づくほど尊敬できる、人間として魅力を備えた愛にあふれた純粋で偉大な人でした
たくさんの思い出があります。
どれほど多くの場所へ同行させていただいたことか・・・
どこへ行っても黒山の人だかり・・・
思い出は限りない・・・
バングラデッシュで10万人の興行を企て一緒に行きましたがその時の国を挙げての歓迎の凄さ、国会議員も総出で出迎えてくれました。
記者会見にも多くの人が・・・
メキシコのおアラメダホテルの屋上で朝まで語り合い、そこへレスラーのブッチャーが朝日を浴びに来て、一瞬緊張したこと。
ブラジルへの飛行機の中でずっと話をしていたこと、その時いきなり腕立て伏せが始まり、延々と腕立て伏せを続けていたこと。
ブラジルのアマゾン川にリングを作り世界の強豪を集めてプロレスを慣行、ずっとそばにいて、インタビュー形式でビデオを撮り続けた事・・テレビ局が怪訝に見ていましたが、ずっと数日間撮り続けた・・1時間テープで20本ぐらい撮り続けた事。
ブラジルのレーメ地方でアントンハイセル牧場を立ち上げて、30億円と言う大赤字を出した事業にも様々な応援をした人員も6名ほど協力した・・私もブラジルに牧場を持ち、2000頭の牛を飼っていて、アントン牧場の実験に150頭の牛を差し上げた事。
また、日本でのプロレス興行の試合には、一番前列あたりで毎回毎回見せていただき、試合が終われば必ず打ち上げがあり夜中までサービスしていた姿、東北に温泉に行った思い出や、前田明さんと三人で会津若松の料亭でお食事を設定したこと。
大仁田厚さんとお食事を設定して、どちらにも「善い人を紹介したい」とだけ話して、ハプニングでお会いしていただき、
大仁田厚さんがものすごく恐縮した姿・・
思い出はつきないが、喜寿の祝いで皆様と一緒に会いましたが、最後に二人で会ったのは、1年ほど前になるパレスホテルで二人だけでお会いして、深い話をした・・内容はここに書けないが、哀しくて涙があふれた・・これが今生のお別れになるとは・・・
「本当にお疲れさまでした・・大きな使命をもってこの世に来てくださり、世界中の人に夢と希望と勇気をたくさん与え続けてくれました。総理大臣の名前は知らない人でもアントニオ猪木を知らない人はいなかった。
安らかに、静かにお眠りください。
・・と言ってもきっともうあの世界で、新しい事を始めているに違いない!
「肉体がなくなって、自由でいいよ・・さあ・・下界の人類のために愛を振りまくぞ~~」とか、先立たれた多鶴子奥様にあって元気な姿で話し合っているかも・・
円楽師匠とも会って「あら・・ご一緒でしたか・・」とか・・
とにかくアントニオ猪木の魂は人類愛にささげる生命として神様になっても永遠に輝き続けるであろう
本当にありがとう
永遠の思い出としてみんなの心に、私の心に生き続けます。
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